挨拶

2019.6.27 更新


瀬戸際の人間関係から

                      北海道臨床教育学会会長 畠山貴代志

 昨年の総会で会長を仰せつかりました畠山貴代志です。小学校の教育現場しか知りません。現在は、高等学校でスクールカウンセラーをして、6年目になります。そこでは、驚きと共に衝撃を感じる場面にいくつも出会いました。命をかけた教師と生徒の瀬戸際の人間関係にも遭遇しました。ベテランも新卒もありません。人と人との心のせめぎ合いがあるのでした。ただ聴くことしかできない若い教師によって、子ども自身が自分と向き合い、新たな自分を発見して、大きな一歩を踏み出す場面にも立ち会うことができました。まさに、『寄り添うことはなごみである』ということを知りました。
 昔の教師の3Kを『勘・経験・過去の栄光』と揶揄することがあります。今の教師の3Kは『共感・共有・協働』というようです。今も昔も一人前の教師になるためには、時間がかかるものと思う感じもします。でも、今は、心遣いや感じ方というものが大切と思われます。
 ベテランの先生方の新任時代の悪戦苦闘の日々をよく聞くことがあります。そういう行動をせざるを得なかった子どもたちとの『瀬戸際の人間関係』には、嘘も偽りもなく、真実そのものが語られます。その後に、過去の栄光たる「最近の若い者は...」と付いてしまうことがよくあります。そうなるとせっかくの『教師の語り』が違うものに化学変化を起こしてしまうのでしょうか。
 最近読んだ雑誌に『先生は丸ごと人生科』という見出しがありました。教師という経験を積み重ねていく中で、やんちゃな子どもたちが先生とぶつかり合うことで、教師の隠しきれない「素」である「人間性」と出逢うことがあります。また、「いい子を演じる」生徒たちの中には、教師との生身の人間関係が整いすぎて、その先生の「素」に触れ合う機会が少ないまま過ぎてしまうことがあるかもしれません。
 先生と子どもたちとの関係は「人生科」という授業として生涯の学びになるといいます。それぞれの子どもたちが、それぞれの人生のほんの一瞬を共にする教師。ベテランだろうが新卒だろうが、子どもたちにとっては一人の『人生科の教師』です。
 教師という職業柄、瀬戸際の人間関係が生じることが多くあります。その時、教師も子どもも『どう考え、どう判断し、どう動くか』という不安や葛藤をかかえるでしょう。たとえ結果がどうであれ、その答えを自分の外側ではなく、自分の内側に求め探していくようなことが、自分らしく生きていくことになるのでしょう。
 今、次世代の教育が水面下で動いているようです。間違いなく学校が変わっていくような気がします。昭和の教育が通用しなくなってきている教育の現場に何が起こっているのか、自分自身の思いと向き合い、様々な話を自分に重ね合わせながら過ごす時間を共有できたらと願っています。
 『学びは心を癒す』と言います。ぜひ、みなさまのご参加をお待ちしております。



北海道臨床教育学会 (事務局:北海道教育大学池田考司研究室気付)
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